クジャクの求愛行動

小さな地球で働く何でも屋さんの話。

~It's a small world project~

【助かるかもしれなかった命〜修正版〜】

※2013年3月10日に書いた記事をシェアします。

被災地へ里帰りをかねて行った記録。シェアしていただけたら嬉しいです。

 

 

そこにはあった。



助かるかもしれなかった命。




東日本大震災から二年。




今週末、私は茨城県水戸市にきている。




目的は二つ。


1つは祖父母のお墓参り。


もう一つは、伯父さんのプレゼンを聞くため。




ご存知の方もいるかもしれないが、私の伯父は福島県で医師をしていて医療団体の会長をしている。


定年はもう超えているが、
医師不足の福島。


辞めることなく今も元気に働いている。


伯父さんはすごく多忙なのに、
フットワークが誰よりも軽い。


その上、
お話好きで、
物腰柔らかくて、

実はダンサーで、


震災被害の復興に深く関わっている人である。




その伯父が、生まれ育った茨城県で震災後の福島、

チェルノブイリ視察の発表があるとて、


母と五時間かけて水戸に着いた。



海の見える町の大洗に着いた頃には、

偕楽園という庭園には梅が七部咲きで観光客も多く、



賑わい始める第二の故郷を垣間見れて嬉しかった。

photo:02





夜、診療を終えて福島から茨城へきた伯父と大洗の美味しい魚を食べながら、



福島の


過去

 






これから




をおしえてもらった。



そこで得たことをお伝えしたい。




そこには、大好きな日本の
背景と許せない現状が交差していた。



まず第一に、


東日本大震災では、

死者と生存者の、境目がとてもクリアだった、


ということ。




比べて申し訳ないが、



阪神大震災では、


震災の重傷者や生死をさまよっていた方でも、


72時間以内に助けれたから助かった命があった。



でも、


東日本大震災での重傷者は、



死者になってしまうことが顕著に見られたとのことだった。




これは、何の違いか。




そう、答えは原発事故である。





もちろん、津波の被害もあとを立たなかった。


でもその中で


72時間以内に救えたら、



助かる命があった。



でも、がれきの下からひっぱってでも助けられた生存者がいても



随時助けていって72時間経つ頃には、


その地域は放射能のせいで避難区域に指定され、



重傷者がいても、
助けに戻ることができなかった。



原発事故がなければ、もっと救えた命があったのに。。。




みんな、着の身着のまま避難所へ逃げてきた。




三月の東北はまだまだ寒い。



それでも、1分1秒で生きるか死ぬかが決まってしまう。



何も持たずに逃げてきた被災者がある小学校の体育館に集まった。


そこには、町の人と逃げてきた現役の看護師さんもいた。


私の伯父は、そこで支援を始めた。


その看護師さんたちは、200人ほどいる被災者の病状をすべて把握しており、


伯父に相談してきたそうだ。

体温計一つはない、血圧計もない。
風邪薬もない。



そこへ、伯父の診療所から

「返さなくていいから。」と、


体温計や血圧計が寄付された。

みんな大変喜んでいたそうだ。





いきなりだが、みなさんは、

2011年3月15日の午後、どこで何をしていたか覚えていますか。



その日は、雨が降ったんです。


その雨のせいで、


放射能汚染になってしまったんです。




伯父がいた地域は、原発から離れていた。

でも、ある日ニュースをつけると、自分の地域も低い値ながら汚染地域になっていた。


被爆者をお世話していたら、

 

 

気付いたら自分も被爆してたんだ。




ショックは大きかった。



福島に住んでいるリアルな思いが、すごく伝わってきた。




去年、自身が代表を務めるEast Japan RE: project (略してイリプロ)のみんなでダンス支援で復興地を訪れた。


電柱はなぎ倒され、

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船が陸に乗り上げ、



家が倒れ、

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洗浄してるから放射能の値こそ低いが、だれも住んでいない。



立ち入り禁止区域にはもう子どもは住んでいない。


故郷を離れることを余儀無くされた方々は、


逃げてきた地で、ひと月10万円以下、はたまた5万円以下で親子で暮らしてる人は次第に増えていっている。



「津波や地震の被害は、まだ復興の余地がある。




でも、原発、放射能は、




どうにもなんない。。」



被災者の方の生の声が印象的だった。




それでも、日本のトップのエライさん方は



「2基は事故を起こしたが、


4基はよく耐えた!」




と威張って福島での原発再稼働を狙ってるらしい。




この意味は、「福島で再稼働できたらどこでも再稼働できる流れに乗れる」



という狙いなんだ。



腐ってるな、まじで。




福島では、肥満の子どもが増えている。



なぜかって、

放射能があるから外で遊べない。


外で遊べないから運動不足児童が増えて肥満が増えている。



子どもたちの健康状態が危うくなってきている。




放射能を浴びたから、と3000頭の牛馬が殺処分になった。




ねぇ、まだやるの?




そろそろ、息が詰まってきたのでここで心を動かされた話をしていこう。



震災当初、4km県内にあった病院に怪我人や被災者が殺到した。



医師、看護師が必死に対応する中、次の日、白の全身マスクを着た警察達がきて、



「ここは立ち入り禁止区域になったから、早く逃げて!」



収容人数の少ないドクターへりでなく、自衛隊のヘリが到着した。


そこに、もう死んでしまった患者さんもいた。



もちろん、死んでしまったらヘリには乗せてもらえない。


でも、看護師さんは自衛官に必死に交渉した。


「この人は、息をしてないけど生きてるんです!!



ここに置いていったら、

もうこの人は一生誰の目にも触れず、弔ってもらえない。


お願いします。連れていってください!」



言葉を詰まらせた自衛官。



「よし、わかった。」

 

 

と、その仏さんを一番にヘリ乗せてくれたらしい。


日本には、死んだ人を「仏さん」として敬う風習がある。



息してなくても生きてんだ。


この伯父の話を聞いた来場者の鼻をすする音が会場をこだました。



また、最初に述べた、避難所で伯父が体温計や血圧計を寄付した看護師さん達。




しばらくたってから、

「あのときはありがとうございました。」


と、新品の体温計や血圧計が伯父の診療所に届いたそうだ。



ちゃんと恩を返すこの姿に感激した。



伯父は、今も福島で戦っている。


放射能の被害を受けやすい甲状腺検査を3年間で36万人に行う計画を立て、


みんなが身体を気遣って、


もし他の病気やガンが見つかっても早期発見になるように務めている。

photo:01




「科学者の話は聞けても、お医者さんの話はめったに聞けないんだ。

自分達の健康にも深く関わる話だったからスッと理解できた」


と、来場者の方が話してくれた。



実はその分科会は、

「高齢者大会」という名前がついており、65才以上の方々が100名以上詰めかけていた。



そこで、私も潜り込んだが、


赤いミニスカ茶髪フィリピン顔はとにかく目立って仕方なかった。


ええいままよ!の勢いで立ちあがり、



「私は、プレゼンターの姪です。今日は大阪から震災のことを勉強しにきました。


East Japan RE: projectという、ダンスで復興支援をする団体の代表をしています。


大阪の若者も、自分達にできることをしたい!と立ちあがりダンスチャリティイベントをしています。



来月も、チャリティイベント開催して、大阪からパワー送ります!

かげながらですが、応援させてください!」



そう言うと


ワッ!と拍手が起こった。



関西でも、復興地の皆さんにリアルに支援してることを知って欲しくて、

一人じゃないってこと解って欲しくてお伝えした。



この週末、本当に色んなことを知れた。


それを自分から、世の中に発信していく使命がある。


これを見た方、


ぜひ、シェアして頂きたいです。

ニュースや、新聞が報じない中にこそ真実があるんです。



こんなこといって時々バッシングされるけど、



そんなんしてる暇ない。


「福島のこと、東日本大震災のこと、
忘れられるのが一番辛い。」



復興地ではそんな声が後を断ちません。



忘れたりなんかしません。

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このブログ、泣きながら書いたのを覚えてる。

あまりにもいろんな思いがめぐりすぎて。

でも、泣いてる暇はない!!!


来月もやります!


ダンスチャリティイベント!
2014年4月13日(日)11:00-17:00@JR難波OCAT
3.11に起きた事をずっと忘れず、走り続けてきた
East Japan RE: projectとして今年もチャリティーダンスイベントします!
Dance for Tune vol.4!

今まで、「私たちにできること」を掲げ、ダンスを通して被災地支援を行ってきました。
「続けること」がとても大事だと毎回痛感します。

本当に、心をこめて毎回イベントを行っています。
ぜひ、ご参加ください^^
ダンスを楽しみながら、被災地を関西から元気にしていきたいです。
そんなイベントの一人になっていただけたら嬉しいです^^
HP: EAST JAPAN RE:project/イリプロ

 

よろしくおねがいします!

East Japan RE: Project

代表 Yui Sasaki Diaz

【Strated!】※plz share this post
on April 13th 2014 from11:00-17:00, Dance for tune Vol.4 !!!!
@JR namba OCAT

we will hold a dance charity event again!!!!
We never forget about what happened on May 11th 2011.

"continuing one thing that we believe with what we can do" is our policy.

Always we have this event for encouraging disaster victims in Tohoku!
All we can do might be tiny thing for them but we are really happy if this charity help someone there.

I want you to be one of this event!